次世代の役に立ちたく、真心をこめ、渾身の思いでこの投稿を書きます。
妊娠時のトラブルに関して、私は25年間、息子と夫に心中で詫び続けていることが有ります。
・息子へ。10週間も24時間持続点滴で強い薬を使い、お腹の中で苦しい思いをさせてしまったこと。それが、5年間高熱で苦しむ体質を招いたこと。私の妊娠中の判断が甘かった。
・夫へ。医者とはいえ、全く専門外の産科のトラブルの判断を、全て夫にゆだね、辛い思いをさせたこと。私の判断で動くべきだった。
まだ横浜市瀬谷区に住み、夫が横浜港近くの総合病院に勤めていた頃のことです。
お腹が張って張って、1週間横になって過ごしていましたが、「これはまずい」と直感で、アパートの上の住人にタクシーで産婦人科医院に連れて行って貰いました。
「すぐに大きな病院に入院して下さい」。
次の朝に、出勤する夫の車で、夫の勤める病院に行くことになりました。
1日待たないで、救急車で入院すべきだったと、反省しています。
「医者の家族でありながら、大したことも無いのに救急車を使ってはいけない」というバカな思いが、対応を遅らせました。
朝、病院受付で、「全部手続きは俺が済ませるから、そこで待ってて」と常識的な事を言う夫に対して、私は「私を先に行かせて!私は早く診療を受けたい!」と怒鳴ってしまいました。
人様の面前で夫を怒鳴るなどということは、これが最初で最後……であって欲しいです。
病棟で「何でこんなにひどくなるまで、放っておいたんだ!!」と叱られて当然でした。
危ない状態だという認識が足りなかったあの時の自分に、今でも腹が立ちます。
五体満足で生まれてくれたものの、丈夫な子であるはずが有りません。
それからすぐに平塚に住んで5年間ほど、私達3人は息子の高熱に苦しめられることになります。
看病疲れで私は体重が34キロを切り、立てなくなり、床を這って移動して看病するようになりました。
私は妊娠中の甘い判断の報いだと思いました。
悪い事をすれば罰が当たるんだなぁと、痛感しました。
高熱の子どもと、身体を壊した私を抱え、夫も本当に大変だったと思います。
こんな事にならないよう、湯河原町の「全国初・妊婦救急車」有難うございます!!
湯河原町さんへ、感謝の気持ちでいっぱいです!!
各自治体も参考にされて、実施を心からお願い致します。
今回画期的な点。
・計画出産などで「緊急な場合でなくとも利用できる」こと。
・車内分娩できるよう広さと人員を確保。ワンボックスカーを購入し、救急隊員3人が同乗する。
・隣の真鶴町の妊婦も利用できる。
「妊娠・出産は病気ではないが、対応を誤ると厳しい事態につながる」
この事を肝に銘じて、私は次世代を応援して参ります。

参考:神奈川新聞7月11日